白山 天空マラニック 2011年(平成23年)8月7日ー8月9日 |
8月8日(月) 8月9日(火) 白山の高山植物 50年前の室堂時代 白 山 室 堂 会 ついに来ました 石徹白とは 第17回室堂会 |
行 程 | 7日:岐阜羽島IC−白鳥西IC−勝山−白峰−市ノ瀬−別当出合−砂防新道分岐−南龍が馬場(泊) 8日:南龍が馬場−室堂−御前ヶ峰−池巡りコース-室堂-南龍が馬場(泊) 9日:南龍が馬場−砂防新道分岐−別当出合−市ノ瀬−白峰−勝山-岐阜羽島 |
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天 候 | 7日:晴時々曇り、一時雨 8日:晴時々曇り、一時雨 9日:晴時々曇り、一時雨 | |
8月7日(土) | 8月7日-9日、白山に行ってきた。白山は、50年ほど前、学生アルバイトとして毎年夏に、皿洗い、室掃除、ボッカ、ガイドなどで滞在していた懐かしい山だ。今回はテント泊のため、テント、シュラフ、食料、着替え、炊事道具など一式を担いでの山行である。テントは、ダンロップのXG-126、1人用ゴアテックステントで約1.5Kg、シュラフはモンベル(mont-bell) U.L.スーパースパイラルダウンハガー♯3 バルサムで約600gだ。 自宅から高速道路に乗り、東海北陸自動車道の白鳥西で下りる。千円乗り放題がなくなってもこの時間は5割引き、1200円だ。九頭竜湖、勝山、白峰を経由して市ノ瀬の駐車場に車を止める。通常の駐車場は満杯で六万橋下駐車場に止めた。ここからバスで別当出合まで行く。(400円)朝食のお握りを食べ、支度を整えて出発する。軽量のテント、軽量のシュラフでも装備一式となるとそれなりの重さはあり、久し振りの山行の身にはこたえる重さだ。快調に中飯場、別当覗き、高飯場と来たが、天気予報は晴れ時々曇りだったにも拘わらず、すごい土砂降りとなり甚之助避難小屋に逃げ込む。小屋は避難の登山客で満杯だ。しばらく1時間ほど様子を見ていたら雨も上がり、どんどん出発していく。それにつられる様に小屋を出て再スタートだ。砂防新道分岐で右に行き、4時ころに南龍が馬場に到着した。南竜ヶ馬場ビジターセンターでテントの受付(300円/1日)を済ませテントを張る。南竜ヶ馬場にはアオモリトドマツの林に囲まれた白山では数少ない湿原があり、ニッコウキスゲの大群落やイワイチョウ、リュウキンカ、ハクサンオオバコなど、室堂平では見られない植物の宝庫となっている。夜中に再度土砂降りの雨になったが、さすが、ダンロップのゴアテックステントだけあって、全く雨に対して問題はなかった。また、モンベルの軽量羽毛シュラフは暖かく、ぐっすりと睡眠が取れた。 |
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8月8日(月) | 朝は5時過ぎに目が覚め、朝食のもちとラーメンを食べ、室堂-御前が峰-お池巡りのマラニックに出発した。天候は晴れで気持ちの良いマラニックとなりそうだ。南龍が馬場をしばらく行き、室堂に向けてのはい松やとがの林の急な登りとなる。南龍が馬場から1.4kmほど行くとアルプス展望台に着くが、生憎のガスで展望は利かない。仕方なく登り続けるが室堂平に着くころからガスも晴れ、展望がよくなってきた。南龍が馬場から3.1kmで室堂に着く。しばらく写真を写したり、腹ごしらえをしたりしてから、頂上に向けて出発した。頂上付近は、白山の名を冠したハクサンコザクラ、ハクサンフウロ、ハクサンイチゲ、ハクサンシャクナゲなどや、伝説や歌で有名なクロユリのほか、コバイケイソウ、イワギキョウ、ミヤマキンバイ、チングルマ等、色とりどりの花が短い夏に咲き競っていた。頂上ではガスはかかったり、切れたりしていたが、お池めぐりに行くころから少し晴れが多くなってきた。千蛇が池、紺屋が池、翠が池、油が池、血ノ池、百姓池、五色池は50年前にも良く遊びに出かけた懐かしい場所だ。高山植物も沢山咲いており、写真撮影に忙しい。再び室堂に戻り一服していたらまた夕立が襲ってきた。しかし、30分ほどで晴れ、4時過ぎにテントに戻り夕焼けに染まった室堂平を眺めながら至福のひと時を過ごした。 |
8月9日(火) | 今朝は6時過ぎに起き、朝食のもちとラーメンを食べた。今日は帰るだけなのでのんびりしたものだ。朝食後はしばらくぼーとしてのんびりと過ごし、9時過ぎに室堂に向け帰途についた。 昨日来たコースを戻るので、安心だ。天候も安定しており、下り道なので順調だ。 予定通り12時過ぎに別当出合に着き、バスで市ノ瀬に戻る。 別当出合まで下り、バスを待っているとアルピニストの野口健さんに出会った。「野口健さんと登る、親子白山登山」の講師として、これから南龍が馬場に出発するとのこと、大柄ではないが精悍そうな好青年だった。 白峰の新築なった白峰温泉総湯に行くつもりなのでいつも入っている永井旅館の温泉はパス。しかし、白峰に行ってみたら毎週火曜日は白峰温泉総湯は定休日とのことで残念ながら入ることができなかった。 今回の山行は、時々雨にも降られたが、順調に過ごした大変楽しい「白山天空マラニック」だった。 |
コースタイム |
7日:自宅(5:35)−市ノ瀬駐車場(8:45)−別当出合(9:45)−中飯場(10:35)−甚之助避難小屋(13:00)-南龍が馬場(16:00) 8日:南龍が馬場(6:00)−室堂(09:00)−御前が峰(10:00)−室堂(13:30)-南龍が馬場(16:00) 9日:南龍が馬場(9:00)−別当出合(11:30)−市ノ瀬(13:00)−自宅(17:30) |
白山室堂会は、木下幸雄さんが昭和27年から病気で倒れるまでの23年間に渡って白山室堂主任を努めた。その間、主任さんの下で学生時代にアルバイトをしていた仲間達が、病気を克服し何時までも元気で、私達の「主任さん」で有り続けて欲しい。 そんな願いを込めて発足しました。
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石徹白とは 富士山、立山と並び日本三名山に数えられる白山。石徹白(いとしろ)はその周辺に広がる白山国立公園の南山麓に位置する小さな集落です。白山国立公園は岐阜・福井・石川・富山の四県にまたがり御前峰(2702メートル)大汝峰(2684メートル)の白山主峰を中心に、別山を初めとする十数の連峰により構成されています。石徹白は平安時代から鎌倉時代にかけての白山信仰が盛んな時代には「上り千人、下り千人、宿に千人」と言われるほど修験者の出入りで栄えた土地であり、近世(明治)まで神に仕える人が住む村としてどの藩にも属さず、年貢免・名字帯刀が許されたところです。ゆえに「中世的支配体制」が明治になるまで維持され独特の文化が形成されました。最奥の「上在所集落」は夏は修験者や白山参詣の道案内と宿坊を営み、冬は「御師」として各地に信仰を広め御札を配ることを生業とする人々の住むところでした。古い土地柄から文化財が多く、中でも「大師堂」にある「虚空像菩薩」は国定重要文化財に指定されています。これは当時奥州を支配していた「藤原 秀衡」の寄贈とされ小さな村ながらも白山信仰の重要な拠点であったことがうかがえます。また、最近の研究で「源 頼朝」の追尾を受けた「源 義経」が奈良吉野山から奥州平泉への逃避行の途中石徹白に逗留し、雪解けを待ち脱出した可能性があるとも言われ、石徹白に残る伝承にもそれを示唆する記述が見受けられます。標高700メートルの高地にある集落ですので夏は涼しく、昼夜の温度差により主要農産物であるとうもろこしは糖度がとても高くなります。石徹白産のとうもろこしは大変好評を頂き今や日本中に出荷されています。冬は毎年3メートルを越える雪が積もり、ウィンタースポーツを楽しまれる方々には絶好のロケーションです。郡上市白鳥町にある四つのスキー場のうち三つがこの石徹白に集中しています。反面、地域の生活者には厳しい雪国生活が強いられます。昭和30年代までは210戸1200人強の人々が住んでいましたが、平成19年度の統計では117戸329人の内145人(44%)が65歳以上の高齢者と、過疎・高齢化が進んでいます。白山信仰に育まれた石徹白は信仰の礎が無くなった現在、転換期を迎えています。この地に残った私たちは石徹白発展のため、古の文化継承のために日々さまざまな活動に取り組んでいきます。 |
幹周/14.0m、樹高/25m、樹齢/伝承1800年。
屋久島の縄文杉が発見されるまでは国内でも有数のスギの巨木で、高知県の「杉の大スギ」と並び、日本の巨樹の代表とされていました。
伝説では、白山を開いた泰澄(たいちょう)大師が、養老元年(717年)白山に登る途中、この辺りで道に迷って飲み水を探していると一匹 の熊が現れ、清水へと導き、のどを潤すことができました。そのとき大師は持っていた杉の杖を地に突き刺したものが成長して石徹白の大杉 になったといわれています。 |
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